刺繍蘊蓄

刺繍、服飾に関するノート

リュネヴィル刺繍 その2

 

リュネヴィル(luneville) は、フランス北東部の都市ナンシー(Nancy)の南東約30kmにある街の名前です。この街は"小ヴェルサイユ"と称されるロレーヌ公爵の美しい城リュネヴィル城があります。

 

リュネヴィル刺繍が最初に注目されたのはナポレオン1世の時代で、当時、レースは王公貴族や高位聖職者しか手に出来ないようなたいへん高価なものでした。

この地方では昔からレース制作が盛んで、チュールにかぎ針を使って白い糸を刺繍をするリュネヴィル刺繍もその流れを組むものです。

そのレース風の軽やかな刺繍は当時の流行にマッチし、ショールや袖口の装飾、花嫁のヴェールなど様々なアイテムに使われました。

1830年頃、ナンシー地方では15〜20万人が刺繍業に従事していたといわれます。

ところが19世紀末になると、刺繍やレースの機械化が進み、次第に衰退してしまいます。

 

しかし、リュネヴィル刺繍のもうひとつの側面、かぎ針を使ってビーズやスパンコールを縫い付ける技術によって、リュネヴィル刺繍は再び脚光を浴びることになります。ビーズやスパンコールを縫い付けるには、普通の針より、かぎ針で縫い付ける方が遥かに速く、使い勝手が良かったのです。

 

19世紀は、オートクチュールが開花し、華やかに装飾したドレスがもてはやされる時代でした。1920年代には、ジャズやチャールダーシュの流行によって、踊るたびにキラキラと輝くビーズやスパンコールを全面に刺繍したドレスが大流行し、刺繍産業は黄金期を迎えます。

 

ところが1929年の世界恐慌第二次世界大戦の影響により、服飾産業は大打撃を受け、また工業化の加速によって手仕事の賃金は近代化と競争できなくなりました。

 

今日のリュネヴィル刺繍は、華やかで変化の激しい現代のファッション業界の要望に応えることのできる高度な技術と柔軟性を持った職人たちのたゆまぬ努力によって守られていると言っても過言ではありません。

 

( 参考文献: 「La France au fil de l'aiguile」Edtions ouest-France)

(写真 :Agnes, robe du soir ,ver1925.   musee Galliera)

 

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